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夕陽の見える日露友好公園 [Z900RSと600km超]

6月中旬、秋田に行った際に立ち寄った所。

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停められそうな場所に。

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Aji-Qの横を通り抜けると・・・・

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夕陽の見える日露友好公園に到着。

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夕陽の見える日露友好公園:
昭和7年(1932年)12月1日午前9時。「赤露の漁船が松ヶ崎海岸に
漂着(秋田魁新報)と報じられたように見た事もない船がここ深沢海
岸に漂流していた。深沢の住民は半鐘を鳴らして砂浜に集まり、乗
組員の救助に当たった。ロシア・ウラジオストク近くの島出身乗組
員4名中、1名はすでに死亡していた。(後に島はレイケネ島と判明)
救出されたイワン船長他2名は食事や衣類の介護を受けて元気を取
り戻し、深沢の住民と触れ、「ハラショー」を連発して、3日後の
12月4日に敦賀(福井県)経由で帰国した。切れた帆で包まれて死亡
していたニコライ・ガブリリューク(当時16歳)は、深沢住民の手で
造られたお棺に入れられ、隣村の庵寿様がお経を唱え、共同墓地に
十字架を建てて、憩ろに葬られたのです。
私どもは「地域づくりは子供や孫への贈り物」だとし、先人の偉大
な業績を歴史的縁とし、対岸のロシア極東と交流を図り、環日本海
時代への先取りとして、ロシア遭難漁民慰霊碑建立を企画しました。
平成3年(1991年)に露国遭難漁民慰霊秋田委員会(佐藤憲一会長)が
翌平成4年には露国親善交流推進深沢委員会(小川隆一会長)が発足
し、行政と民間が協働し、秋田県内外の多くの方々からご芳志を
賜り「夕日の見える日露友好公園」と「露国遭難漁民慰霊碑」が
完成しました。
平成4年(1992年)12月1日。私どもはロシア沿岸州、ウラジオストク
市、駐日ロシア大使館から関係者を招聘し、この日の為に作詞作曲
された「空ひとつ 海ひとつ」が流れるなか、露国漁民慰霊祭を執り
行いました。以来12月1日を命日として毎年慰霊祭を主催しており
ます。平成19年(2007年)春。私どもの念願だった「ニコライ少年」
の親族(甥)で物理学者であるユーリ・ガブリリューク氏が確認され
た。翌年、私どもはウラジオストク市を訪ね、彼と感激の対面をし
ました。そして翌年11月に、彼と遭難漁民の遺族調査に奔走された
ペベル・ザイキン親娘を招聘し、感動的な慰霊祭を執り行いました。
この間、私どもは対岸の極東ロシアと草の根の人的、文化、経済
交流を推し進めて参りました。この案内板建立を機に、日本・ロシア
とのさらなる友好改善の推進を誓うものです。

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当時の新聞の見出し。
赤露の漁船が松ヶ崎海岸に漂着

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漂着時、この半鐘が鳴ったんだろうな・・・・

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ニコライ少年ここに眠る

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赤露と言うぐらいなので、昔の人は、
ロシア人を赤人として見ていたのかも。
と思いつつ見学完了。
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