金売り吉次の墓 [Z900RSとちょっとその辺]
2024年12月中旬、栃木に行った際に立ち寄った所。


隣のセブン・イレブンに駐車。
もちろん買い物も実施済み。

畑の真ん中になにやら遺物が。

到着っ。

金売り吉次の墓(伝説):
金売り吉次は、鎌倉時代の初め頃、源義経に仕えた
金売り(砂金などの売買を商売とした者)と言われ
ています。
義経は平家を塩ノ浦 壇ノ浦に滅ぼした後、兄頼朝と不仲に
なり、奥州平泉へ逃れました。
吉次は義経の供をし、この稲葉の地まで逃れてきま
したが、病に倒れこの地で生涯を終えました。
里人たちにより、吉次の墓とともに吉状の守護仏で
ある観音様を祀ったお堂(ここより約20m東に現存)
が建てられたと言われています。
また江戸時代の『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に
随行した曽良の目記に、
「壬生ヨリ楡木へニリ ミフヨリ半道ハカリ行テ
吉次力塚 右ノ方二十聞ハカリ畠中二有」
と記されています。
曽良の日記の通り畠の中に。

金売り吉次の墓。
お賽銭箱はないけどご祈願を
「タイヤが一年間持ちます様に!」

きっと金の成る木。

吉次が居てお金に余裕があれば
この壬生(最重要な下野国)の地で
義経公は天下を狙えたかもしれない。
と思いつつ見学完了。


隣のセブン・イレブンに駐車。
もちろん買い物も実施済み。

畑の真ん中になにやら遺物が。

到着っ。

金売り吉次の墓(伝説):
金売り吉次は、鎌倉時代の初め頃、源義経に仕えた
金売り(砂金などの売買を商売とした者)と言われ
ています。
義経は平家を
なり、奥州平泉へ逃れました。
吉次は義経の供をし、この稲葉の地まで逃れてきま
したが、病に倒れこの地で生涯を終えました。
里人たちにより、吉次の墓とともに吉状の守護仏で
ある観音様を祀ったお堂(ここより約20m東に現存)
が建てられたと言われています。
また江戸時代の『奥の細道』で知られる松尾芭蕉に
随行した曽良の目記に、
「壬生ヨリ楡木へニリ ミフヨリ半道ハカリ行テ
吉次力塚 右ノ方二十聞ハカリ畠中二有」
と記されています。
曽良の日記の通り畠の中に。

金売り吉次の墓。
お賽銭箱はないけどご祈願を
「タイヤが一年間持ちます様に!」

きっと金の成る木。

吉次が居てお金に余裕があれば
この壬生(最重要な下野国)の地で
義経公は天下を狙えたかもしれない。
と思いつつ見学完了。