SSブログ

平時忠一族の墳 [千葉からZ900RSと1000km超]

珠洲市の山中にひっそりと。

DSC00096.jpg
DSC00095.jpg
駐車場に到着。

DSC00100.jpg
源義経と平時忠~仇敵を超越した義親子の絆~
文治元年(一一八五)三月の壇ノ浦の戦いで敗れ、囚われ
の身となった平時忠は、半年後の九月に能登へ流された。
時忠は現在の珠洲市大谷町に辿り着き、付近にしばらく
滞在した後、平家の守り神であるカラスに導かれて川を
さかのぼり、上流の静かな土地(大谷町則貞)に居を構えた。
以後、北嶋荒御前神社や吉祥寺の元地・古屋などを訪ね
歌などを残した。
「白波の打ち驚かす岩の上に寝らえで松の幾世経ぬらん」
これは時忠が配流地で、波に洗われる岩間に生えた松を
我が身にたとえて詠んだ歌である。左記の歌碑がそれで
ある。その時忠の娘が、源義経の妻であったことから、
義経は奥州へ向かう際、義理の父・時忠を訪ねるために
珠洲に立ち寄ったのである。こうした仇敵を超越した義
親子の絆の深さは、今もなお語り継がれている。

DSC00102.jpg
さらに近くには能登平家物語の絵巻が。

DSC00103.jpg
平清盛と同じ時代を生き
「平家に非ずんば人に非ず」
と豪語した"平大納言時忠"

DSC00107.jpg
「白波の打ち驚かす岩の上に寝らえで松の幾世経ぬらん」
の隣の階段を下りて一族の墳へ。

DSC00109.jpg
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・

DSC00110.jpg
ん!?。進んでみる。

DSC00115.jpg
平氏の家紋が。

DSC00116.jpg
到着っ!

DSC00120.jpg
平一族墓所:
時忠卿甲子年卯月廿四日御逝去に依り
この地にて葬る。先代を偲び墓所に
石碑を建立する。
時忠卿は此の地に配流後後妻を娶り一子
を授かり子に源氏の監視を和らげる為
姓を則貞(規律順守)と改め健康を願い
時康と命名。

DSC00121.jpg
もし、時忠卿が今の時代バイク乗りになっていたら・・・
「Araiに非ずんばヘルメットに非ず」
と言っていたかも。
※注、時忠卿のお言葉です。

DSC00122.jpg
実際のお墓はこちら。
鍵がかかっていて中には入れない・・・

DSC00123.jpg
扉越しから。
一番手前の大きいのが時忠卿のお墓。

DSC00128.jpg
urami.jpg
一族を滅ぼされ、娘も殺され、婿さんも
殺され、もしかしたら恨みはあったかも・・・
と思いつつ見学完了。
nice!(24)  コメント(7) 
共通テーマ:バイク