お春瞽女之碑 [千葉からZ900RSと600km超]
出雲崎町入った所、すぐ。
停められそうな場所へ。
ちょっと歩くと・・・・
お春瞽女之碑到着。
花が新しいので定期的に
メンテされている感じ。
お春瞽女之碑:
この石碑のある国道をはさんだ海岸は、現在
浸食が進んできて砂浜が少なくなり道路近く
まで波が打ち寄せているが、昔ここに茶屋が
一軒あり、田も二反近くあったということで
ある。昭和二十二年の秋、盲目の「お春」が
門づけ(人家の入口に立ってシャミ唄などを
唄い生計を立てる)をしながら町を歩いていた。
無心に唄うお春の唄声は暗い世相に明るいほ
のぼのとしたものを呼び戻してくれるようで
あった。
お春は人里離れた落水宿屋の雨がしのげるだ
けの宿に泊まっていたが、人柄もよく唄もう
まかったので町の人気者となりかわいがられ
た、しかしその年の冬は大雪で、お春は出雲
崎から帰る途中、久田の先の砂山で吹雪のた
め倒れ、そのまま死んでしまったと言う。
この話を聞いた洋画家斉藤真一氏が、昭和五
十年宿跡に「お春瞽女之碑」を建立された。
碑文は作家今東光師(当時平泉中尊寺住職)の
筆である。
斉藤真一さんと言えば吉原炎上。
当時30歳の名取さんが19歳の役・・・・
お春瞽女之碑の向かい側。
砂浜はちょっとしかない。
この海沿いに田んぼとお宿があったとは!
日本海のさざ波のリズムにのって
お春さんの唄声も聞こえてきそう。
と思いつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
ちょっと歩くと・・・・
お春瞽女之碑到着。
花が新しいので定期的に
メンテされている感じ。
お春瞽女之碑:
この石碑のある国道をはさんだ海岸は、現在
浸食が進んできて砂浜が少なくなり道路近く
まで波が打ち寄せているが、昔ここに茶屋が
一軒あり、田も二反近くあったということで
ある。昭和二十二年の秋、盲目の「お春」が
門づけ(人家の入口に立ってシャミ唄などを
唄い生計を立てる)をしながら町を歩いていた。
無心に唄うお春の唄声は暗い世相に明るいほ
のぼのとしたものを呼び戻してくれるようで
あった。
お春は人里離れた落水宿屋の雨がしのげるだ
けの宿に泊まっていたが、人柄もよく唄もう
まかったので町の人気者となりかわいがられ
た、しかしその年の冬は大雪で、お春は出雲
崎から帰る途中、久田の先の砂山で吹雪のた
め倒れ、そのまま死んでしまったと言う。
この話を聞いた洋画家斉藤真一氏が、昭和五
十年宿跡に「お春瞽女之碑」を建立された。
碑文は作家今東光師(当時平泉中尊寺住職)の
筆である。
斉藤真一さんと言えば吉原炎上。
当時30歳の名取さんが19歳の役・・・・
お春瞽女之碑の向かい側。
砂浜はちょっとしかない。
この海沿いに田んぼとお宿があったとは!
日本海のさざ波のリズムにのって
お春さんの唄声も聞こえてきそう。
と思いつつ見学完了。