生地台場 [千葉からZ900RSと600km超]
5月上旬、富山に行った際に立ち寄った場所。
停められそうな場所へ。
生地台場:
この台場は、外国船渡来による海防上の必要から
加賀藩が嘉永四年(1851)十月に着手し、十一月に
完成した。工事記録によると土を運んで台場の原
型をつくり、この上に芝をはり、まわりを杭、竹
なわで囲った。正面入口に小刀門を設け台場の上
部に五ヶ所の大砲を置く場所が作られ、船で大砲
が運ばれてきた。
台場の長さ六十三メートル、幅八メートルあり、
弧状の形をしている。これは幕末に作られた台場
の上に、当時の設計図に基づいて復元したもので
ある。砂の下には台場の原型がそのままの形で保
存されている。
おっ、大砲だ。
加賀藩が生地台場に送った大筒。
臼砲(モルチール砲)と言う形式。
臼砲は口径に比べて砲身が短く射角が
大きいので、砲丸は湾曲して飛ぶ。
そのために近距離用の攻撃に用いられた。
しかし、これ・・・・・
これに見えてしまう。
心が汚れているのかも。
富山なのに何故、加賀と思ったら生地台場周辺
の地域は加賀藩の支藩だったらしい。
とちょっと歴史を学びつつ見学完了。
停められそうな場所へ。
生地台場:
この台場は、外国船渡来による海防上の必要から
加賀藩が嘉永四年(1851)十月に着手し、十一月に
完成した。工事記録によると土を運んで台場の原
型をつくり、この上に芝をはり、まわりを杭、竹
なわで囲った。正面入口に小刀門を設け台場の上
部に五ヶ所の大砲を置く場所が作られ、船で大砲
が運ばれてきた。
台場の長さ六十三メートル、幅八メートルあり、
弧状の形をしている。これは幕末に作られた台場
の上に、当時の設計図に基づいて復元したもので
ある。砂の下には台場の原型がそのままの形で保
存されている。
おっ、大砲だ。
加賀藩が生地台場に送った大筒。
臼砲(モルチール砲)と言う形式。
臼砲は口径に比べて砲身が短く射角が
大きいので、砲丸は湾曲して飛ぶ。
そのために近距離用の攻撃に用いられた。
しかし、これ・・・・・
これに見えてしまう。
心が汚れているのかも。
富山なのに何故、加賀と思ったら生地台場周辺
の地域は加賀藩の支藩だったらしい。
とちょっと歴史を学びつつ見学完了。