日本一社若木神社 [Z900RSと300km超]
2024年10月下旬、山形に行った際に立ち寄った所。


近くの公園の駐車場。

早速、境内へ。

ん!これは?


奪衣婆:
冥土(死後の世界)への途中にあって死んでから
七日目に渡らなければならない三途の川のほとり
川岸の衣領樹の下にいて使者の衣服を剥ぎ取り樹
上の懸衣翁に渡すという恐ろしい老婆の鬼が奪衣
婆である。
文政九年(一八二六)四月吉日
山形石工 仁兵エ
日輪寺石宝院 宗賢他
高さ 七十九糎 巾五十八糎
以前この奪衣婆は若木山の中腹にあったが戦時中
昭和十九年十月に現在地に移転したものを今年更
に若干移動遷座したものである。
平成十九年十二月二十五日
奪衣婆って懸衣翁と夫婦だったのね。

本殿へ。

日本一社若木神社
若木神社は日本唯一の疱瘡守護神であり、神町の氏神様である
と共に若木大權現として東北一円の信仰を集め、東北の人々を
加護した神様であります。
縁起によれば人皇五十代桓武天皇のとき、延暦元年(七八二)
壬戌四月天台宗の開祖伝教大師(最澄)が廻國済慶の折、この
山の麓に来ると全山が真赤に輝きその赤気が山頂にかかる雲に
映じて妖しげな状景を目にし、不思議に思いおそるおそる遙拝
し、村の翁を供して山に登り、翁の話を聞くに以前にも斯様な
赤気雲が立ち昇りおる事を聞き大師悟りを拓こうと一心になり、
修法観念し給うれば、忍ち全山赤気雲が散するに大師の前に一
本の若木あり、その下に一つの紅赤石あり石理光沢して恰氣を
発する如し、大師これを見て神意を覚りその紅赤石を岩屈に紀
て神秘となし、この前で十七日間の修業を重ね、下に霊石を踏
えて上は赤氣の乗ずるは陽徳の神の垂跡にして赤気は疱疹の兆
し也り、とここに一社を創して、疱疹守護神日本一社若木大権
現と尊崇すれば疱瘡麻疹を始め諸を治すること疑いなしと、村
人に教諭し立ち去りました。
以後村人達は深くその教えを守り神社を創立して祭紀しますと、
大師の申された通り疱瘡(天然痘)の重症さえも立ち所に全快
すると言う霊験が現れました。当時疱瘡は世界最恐の病気であ
り、伝染力も強く死亡率が高く死を免れても、あばたが残る等、
又生まれても疱疹を患って生き伸びられるか解らぬので名前も
つけず一年を経過してから命名する風習は珍らしい事でなかっ
たと言う。
それ程恐しい疱瘡から守ってくれ若木大権現だったのです。
明治の世となり種痘の普及により疱疹にかかる人も少なくなっ
ても、万病治癒講願成就の神と崇められ参指者も多く明治三十
六年(一八七二)村社に列せられ、昭和十八年大東亜戦争の折、
舞鶴海軍航空隊の飛行場建設と若木山防空壕掘削工事が始まり、
山頂に誘導灯が設置される事から神社も山頂から現在地に遷座
して神町の氏神様として地えの人々の変らぬ信仰を得ていると
ころであります。
思えば由来深い我が郷土の吉社であり、神町地域の発展の根源
をなす若木神社であります。

ご本尊様にご祈願
「タイヤが一年間持ちます様に!」

神社向かいの公園には、日本一社若木神社の説明文
の中にあった若木山防空壕。

電話交換室も。
中、見てみたいなー。

タイヤが疱瘡の魔の手から逃れて一年間持ったら
(タイヤに)命名しないと・・・
と思いつつ見学完了。


近くの公園の駐車場。

早速、境内へ。

ん!これは?


奪衣婆:
冥土(死後の世界)への途中にあって死んでから
七日目に渡らなければならない三途の川のほとり
川岸の衣領樹の下にいて使者の衣服を剥ぎ取り樹
上の懸衣翁に渡すという恐ろしい老婆の鬼が奪衣
婆である。
文政九年(一八二六)四月吉日
山形石工 仁兵エ
日輪寺石宝院 宗賢他
高さ 七十九糎 巾五十八糎
以前この奪衣婆は若木山の中腹にあったが戦時中
昭和十九年十月に現在地に移転したものを今年更
に若干移動遷座したものである。
平成十九年十二月二十五日
奪衣婆って懸衣翁と夫婦だったのね。

本殿へ。

日本一社若木神社
若木神社は日本唯一の疱瘡守護神であり、神町の氏神様である
と共に若木大權現として東北一円の信仰を集め、東北の人々を
加護した神様であります。
縁起によれば人皇五十代桓武天皇のとき、延暦元年(七八二)
壬戌四月天台宗の開祖伝教大師(最澄)が廻國済慶の折、この
山の麓に来ると全山が真赤に輝きその赤気が山頂にかかる雲に
映じて妖しげな状景を目にし、不思議に思いおそるおそる遙拝
し、村の翁を供して山に登り、翁の話を聞くに以前にも斯様な
赤気雲が立ち昇りおる事を聞き大師悟りを拓こうと一心になり、
修法観念し給うれば、忍ち全山赤気雲が散するに大師の前に一
本の若木あり、その下に一つの紅赤石あり石理光沢して恰氣を
発する如し、大師これを見て神意を覚りその紅赤石を岩屈に紀
て神秘となし、この前で十七日間の修業を重ね、下に霊石を踏
えて上は赤氣の乗ずるは陽徳の神の垂跡にして赤気は疱疹の兆
し也り、とここに一社を創して、疱疹守護神日本一社若木大権
現と尊崇すれば疱瘡麻疹を始め諸を治すること疑いなしと、村
人に教諭し立ち去りました。
以後村人達は深くその教えを守り神社を創立して祭紀しますと、
大師の申された通り疱瘡(天然痘)の重症さえも立ち所に全快
すると言う霊験が現れました。当時疱瘡は世界最恐の病気であ
り、伝染力も強く死亡率が高く死を免れても、あばたが残る等、
又生まれても疱疹を患って生き伸びられるか解らぬので名前も
つけず一年を経過してから命名する風習は珍らしい事でなかっ
たと言う。
それ程恐しい疱瘡から守ってくれ若木大権現だったのです。
明治の世となり種痘の普及により疱疹にかかる人も少なくなっ
ても、万病治癒講願成就の神と崇められ参指者も多く明治三十
六年(一八七二)村社に列せられ、昭和十八年大東亜戦争の折、
舞鶴海軍航空隊の飛行場建設と若木山防空壕掘削工事が始まり、
山頂に誘導灯が設置される事から神社も山頂から現在地に遷座
して神町の氏神様として地えの人々の変らぬ信仰を得ていると
ころであります。
思えば由来深い我が郷土の吉社であり、神町地域の発展の根源
をなす若木神社であります。

ご本尊様にご祈願
「タイヤが一年間持ちます様に!」

神社向かいの公園には、日本一社若木神社の説明文
の中にあった若木山防空壕。

電話交換室も。
中、見てみたいなー。

タイヤが疱瘡の魔の手から逃れて一年間持ったら
(タイヤに)命名しないと・・・
と思いつつ見学完了。
電話交換室はけっこう綺麗に残ってるのですね。
タイヤに命名したらバイクやヘルメットにも(笑)
by yamatonosuke (2025-01-23 00:36)
空海じゃなく最澄なんだ(^_^;) 命名を惜しむのが理解できん(^_^;)
by middrinn (2025-01-23 03:44)
こんにちは。
>ご本尊様にご祈願「タイヤが一年間持ちます様に!」
タイヤが疱瘡...ってお門違いも甚だしい
>電話交換室も
跡ですやん
by HIRO (2025-01-23 20:10)
>yamatonosukeさん
タイヤが一年行き残るのは当時から大変だったと(笑)。
>middrinnさん
名前のストックがないので、生き残りを選別していたり。
>HIROさん
跡だけど、たぶん中には当時の交換機とかあるのかも。
by tai-yama (2025-01-23 22:54)